
- 「羽田家のキモノ展を開催いただくにあったって・・・私ときもの」 羽田 登喜男
- 1996年リヨン染織美術館「羽田家のキモノ展」図録より(図録掲載は仏訳、英訳のみ)
きもの作りの醍醐味は、決められたかたちの中で、いかに自分なりの表現をしていくかにあります。 そしてきものは着る人の美しさをひきたてるものでなくてはなりません。 このたび、フランス、リヨンの「リヨン染織美術館」で、私と長男の登、孫の登喜の三世代が作った友禅染のきものを、館主催の特別展として企画展示いただけることになりました。
リヨンはヨーロッパの染織史上名高い街です。その染織美術館は染織品のコレクション、修復、展示等、世界有数との、誇りと実績を持っておられます。そのようにすばらしい美術館において展覧会を開催いただけますことに、大変感激いたしております。美術館のお話ではヨーロッパの皆さんは、「きもの」というものはだれでもご存知なのだそうです。ところが三百年前にうまれた技術を今に伝える友禅染の手描きの技法はというと、これまで、まとまった形で実物を展示し、紹介されることはなかったようで、友禅染がどんなものなのかはほとんど知られていないのだそうです。ヨーロッパでは織物やプリントが主流なので、衣装の為に手描きで精彩な染色を施すということは、ただ言葉で説明するだけでは一般の人には伝わらないというお話で、この展覧会が友禅染を紹介するということにおいても、大変有意義なものになるだろうことを願っております。
私が染色の道に入ってはや七十年の歳月が過ぎました。生を受けた金沢は北陸の城下町です。 代々続いた造園師の三男に生まれた私は、小さい時から絵を描くことが好きで、学校を出るとすぐ隣家の南野耕月先生の下で加賀友禅の修行をしました。最初は友禅とは詳しくわからず、絵が描けるという事だけでこの道に入ったものの、金沢という土地柄、もし隣家が蒔絵師であれば蒔絵師に、陶芸家であれば陶器の絵付けを学んでいたでしょう。ものの出会いというものは真に不思議なものです。
思い返せばいろいろなことを経験いたしました。加賀友禅の手ほどきを受けた金沢での修行時代、年季明けを機に京都へ出て、初心に帰って勉強をやり直したこと、師匠の許しを得て独立・・・。太平洋戦争の悪化により、きびしく辛い時期が続きました。しかし戦争のさなかでもこの仕事を続けることが出来たことは幸運だったと今にして思われます。やがて終戦、すべてが一から出直しとなり、今日までこうして、大好きなきもの作りを続けてこれたことは、大変幸せなことだと思います。
現代の日本で、きものを普段に着る人は、ほとんどいません。友禅染のきものは、普段着ではなく、晴れの場のための最も華やかで格式ある衣装です。現代においても、フォーマルな装いを要求される場面では、きものを着る女性が目立ちます。私がきものづくりを学び始めたころと現在とでは、きものを取り巻く環境は激変し、また、人々の生活そのものもすっかり変わってしまいました。ないより情報伝達速度が全く違います。昔は京都と東京など、日本の中の地方地方できものの好みが違いましたが、最近ではほとんど目立った違いはありません。なにより若い女性は日本にとどまらず、海外へもどんどん旅行に出掛けて、世界的なファッション感覚を身につけています。我々も、世界的なファッションの動向をも視野にいれてきものを作らなければならない時代になっているのです。
私は「不易流行」という言葉を常に心がけてきものを作っています。それは時流に逆らうものではなく、時流のただなかにいて、時流を見極めながら、それに流されることのないもの作りだと思っています。絶えず心がけて、美しい、着てみたいと現代の女性を感動させるきものを作り続けたいと思っています。きものというものの存在が失われる時がくるとすれば、生活様式の変化の為ではなく、きものの作り手が、女性に着てみたいという気持ちを起こさせることができなくなった時だと思います。 また、それは世界中のあらゆるファッションというものに共通するのではないかと思います。
この展覧会において、私がこれまで六十余年にわたって作ってきたきものと、長男登の作ってきたきもの、そして孫の登喜が作るきものと、三世代のきものを展示することによって、個々の創作性、伝統を受け継いでいくということ、そして衣装としての同時代性とを、一度に見て、感じていただけることができればと思います。このような機会を与えてくださったリヨン染織美術館をはじめ、関係者各位にはあらためてここに感謝の意を表します。本当にありがとうございます。
- リヨン染織美術館よりのご弔辞
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1995年日本滞在の折、私は羽田登喜男先生の作品に出会う為、京都を訪れました。先生の洗練された作品にすっかり魅了され、リヨン染織美術館において、友禅の技術を駆使した、人間国宝の手による着物の展覧会を開催することを、心に決めたのでした。 この時の先生及びご家族の温かいおもてなしは、今も私の心に残っています。それからは展覧会の立ち上げに際し、必要なことが全て実にスムーズに私の元に集まってきました。そして、1996年6月から8月まで、大変多くの人を魅了した「羽田家のキモノ展」を開催出来たことを、館長として大変名誉に感じております。
展覧会の準備、開催期間中に培われた友情は、展覧会終了後も途切れることなく、幾度もの再会のたびに、お互いの友情を確認しあって参りました。
羽田先生の思い出は、決して消えることなく、今後もずっと引き継がれていくことでしょう。これからも羽田家のご家族によって。
ギイ・ブラジー リヨン染織美術館名誉館長
En 1995, à l’ occasion d’ un voyage au Japon, je me suis rendu à Kyoto pour découvrir le travail de Maître Tokio Hata.
Séduit par lesœuvres raffinées qu’ il avait conçues, je pris parti d’ organiser au Musée des Tissus de Lyon, une exposition de Kimonos réalisés par ce “Trésor National Vivant ” qui a remarquablement travaillé dans la technique du Yuzen. Je garde un merveilleux souvenir de l’ accueil qu’ il me fit ainsi que sa familli. Tout au fils des mois, se mirent à ma disposition avec la plus grande gentillesse pour mettre sur pied l’ exposition “Kimonos de la famillie Hata” que j’ eus la plus grande fierté de présenter à un public émerveillé, de juin à aout 1996.
L’ exposition finie, lesliens amicaux tissés avant et pendant l’ exposition ne s’ en arretent pas pour autant. Nous sommes nous revus à différentes reprises et à chaque fois nous nous rendions compte que l’ amitié demeurait.
Le souvenir de Tokio Hata ne s’ efface pas, il restera intact et se prolongra, c’ est certain, par l’ intermédiaire de sa famille.
Guy Blazy, conservateur honoraire du Musée des Tissus de Lyon.ご尊父様、ご祖父様のご逝去に接し、心よりお悔やみ申し上げます。 染織美術館にとって、羽田登喜男様をお迎えすることができ、貴重な作品を展示することができましたのは、大変名誉なことでございました。リヨネ(リヨンの人)達は、今でも、輝かしい、重要な展覧会だったと話しています。
あの展覧会は、皆様のご尊父様、ご祖父様のお名前と共に美術館の歴史に残るものとなることでしょう。 美術館のスタッフ全員と共に、この試練において、皆様と悲しみをともにし、皆様に深い思いを寄せております。 心をこめて 2008年3月3日 リヨンにて
マリア=アンヌ・プリヴァ=サヴィニ
文化遺産学芸員 リヨン染織美術館・装飾美術館 館長Lyon le 3 mars 2008
Vous pris de recevoir toutes ses condoléances pour la disparition de votre père et grand-père. Sachez que ce fut un honneur pour le Musée des Tissus de le recevouir et d’exposer ses oeuvres.
Les Lyonnais en parlent encore comme d’une exposition phare et marquante.
Elle restera dans I’histoire du Musée, comme le nom de votre père et grand-père.
L’équipe du Musée des Tissus partage votre peine er vous accompagne pour la pensée dans cette épreuve.
Avce mes sincères et affectueuses salutations
Maria-Anne Privat-Savigny
Conservateur du patrimoine
Directeur du Musée des Tissus et du Musée des Arts décoratifs de Lyon