羽田工房
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羽田工房について

羽田工房は、平成28年4月、鷹峯に移転しました。

27年から移転準備を始め、かつて光悦が芸術村を築いた鷹峯の地に、縁あって仕事場を移すことになりました。御所の近くから離れるのは、工房を創立した昭和10年以来初めてのことです。 風光明媚。仕事場の窓からは、大文字、比叡山、鷹峯三山が美しく見え、庭の木々に小鳥が遊び、静かで集中力も高まります。 友禅には良水が欠かせませんので、仕事に必要な井戸水を得ることも出来ました。新しい環境のもと、新しい羽田工房が始まります。

手描き友禅ができあがるまでには多くの工程があり、複雑なものであれば同じ工程を繰り返して、30工程を超えることもあります。
京都では、通常これらの工程は分業化されていますが、羽田工房ではすべての工程を一貫して行っています。
作り手は常に着物が、同時代の女性の装い、すなわちファッションであることを忘れてはなりません。伝統とは、古いものを守ることだけではありません。工芸の世界で最も大切な要素である時代性をとらえながら、流行を超えて、いつ見ても新鮮さを失わないものづくりを目指しています。

作り手は常に着物が、同時代の女性の装い、すなわちファッションであることを忘れてはなりません。伝統とは、古いものを守ることだけではありません。工芸の世界で最も大切な要素である時代性をとらえながら、流行を超えて、いつ見ても新鮮さを失わないものづくりを目指しています。


作家

羽田登喜男 重要無形文化財保持者(人間国宝)
京都の庭園や自然を愛し、花鳥風月に材を求める。特に鴛鴦の文様は、独特のデザインに、人気が高い。野の草花を、豪華な文様にデザインす ることも、特徴的である。京友禅の世界に、加賀友禅を融合させた独自の境地を開く。
京都府民を代表してダイアナ妃に送られた振袖、祇園祭 蟷螂山の懸装品、内外での展覧会で活躍。

経歴・作品


羽田登 京都府指定無形文化財保持者
羽田登喜男の長男として生まれ、文字どおり、工房に寝起きする幼少期を過ごした。思春期には「思いきり好きなことをしなさい。ただし、いずれは家業を必ず継ぐこと。」 と父登喜男より言い渡され、書、日本画、サッカーに打ち込む。長じて、それらの体験が制作の基礎となることを実感する。具象、非形象にとらわれない、自在なものづくりにも、それは大きく関わっているといえる。以後も、旅、出会い、日常のふとしたできごとなどあらゆる経験がものづくりに反映されていく。
趣味の鮎釣りから、渓流など、水の流れをモチーフにしたものも多い。生まれ育った京の町並みや、うつろいゆく四季の風景を叙情豊かに描く作風は、繊細でありながら力強い。

経歴・作品


羽田登喜
登喜男を祖父に、登の次女として羽田家に生まれる。登喜男や登がそうであったように、登喜も幼い頃から絵を描くことが大好きであった。工房を遊び場に育ち、三代を担うものとして、様々な教育を受けうる環境に導かれて行く。大好きな祖父登喜男、厳しい父の2人の仕事を間近で見ながら成長して来た。
祖父、父にならった確かなものづくりに加え、自身が若い女性であることを活かした、 愛らしく、斬新なデザインが特色である。今後の成長にともない、次々と新しい特色が育っていくのが楽しみである。

経歴・作品


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