羽田登喜男の長男として生まれ、文字どおり、工房に寝起きする幼少期を過ごした。思春期には「思いきり好きなことをしなさい。ただし、いずれは家業を必ず継ぐこと。」
と父登喜男より言い渡され、書、日本画、サッカーに打ち込む。長じて、それらの体験が制作の基礎となることを実感する。具象、非形象にとらわれない、自在なものづくりにも、それは大きく関わっているといえる。以後も、旅、出会い、日常のふとしたできごとなどあらゆる経験がものづくりに反映されていく。趣味の鮎釣りから、渓流など、水の流れをモチーフにしたものも多い。生まれ育った京の町並みや、
うつろいゆく四季の風景を叙情豊かに描く作風は、繊細でありながら力強い。
1938年 | 9月10日、羽田登喜男の長男として京都に生まれる |
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1958年 | 京都市立日吉ヶ丘高校美術コース(現銅駝美術工芸高校)日本画科卒業 |
1963年 | 第15回京展に日本画で初入選 第6回日展に日本画「岩礁」で初入選 |
1964年 | 京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)日本画科卒業 岸田竹史先生に師事。以降、パネル、屏風を日展、日本現代美術出品 さらに父・羽田登喜男に京友禅と加賀友禅の伝承を受ける |
1965年 | 第4回日本現代工芸美術展に染色パネルを初出品、初入選 |
1969年 | 京都工芸美術展覧会、優秀賞京都府買い上げ 関西総合美術展、染色屏風、関展賞 |
1971年 | 京展染色屏風、読売新聞社賞 以後、 本伝統工芸展への出品を目指し、8年間公募展の出品を休止 技法、感覚、構成力の研鑽に励む |
1979年 | 初めて友禅の作品を公募展に出品 第26回日本伝統工芸展において、訪問着「夕東風」を出品、初入選 以後、活躍の場を「日本伝統工芸展」に移す |
1980年 | 第17回伝統工芸日本染織展、訪問着「桃里」文化庁長官賞 |
1981年 | 第10回日本工芸会近畿支部展、訪問着「親潮」大阪府教育委員会賞 |
1982年 | 京都工芸美術展、訪問着「潮音」新人賞、京都府買い上げ |
1983年 | 京都府から海外研修として、イタリアを中心に欧州へ派遣 |
1984年 | 日本工芸会正会員 |
1985年 | 第14回日本工芸会近畿支部展、訪問着「ただよう」大阪府教育委員会賞 |
1986年 | 第4回京都美術工芸選抜展。訪問着「ただよい」京都府買い上げ |
1987年 | 日本工芸会近畿支部展鑑査員 |
1988年 | 第40回京展、訪問着「桃花流水」京都市長賞 京都工芸美術作家協会、理事 |
1989年 | 第18回日本工芸会近畿展、訪問着「曙」京都府教育長賞 |
1990年 | 第42回京展、訪問着「薫風」あかね賞 第37回日本伝統工芸展、訪問着「古都随想」日本工芸会総裁賞(最高賞) |
1991年 | 第43回京展、出品委嘱作家に選定 ドイツ・ケルンのケルン日本文化会館において「京都工芸2人展」開催 |
1996年 | 第48回京展、審査員 仏リヨンのリヨン染織美術館、同館主催の特別展「羽田家のキモノ展」 |
2001年 | 京都市立銅駝美術工芸高校評議員制度発足と同時に評議員就任 スコットランド「京都の工芸inエディンバラ展」選抜出品 第38回日本伝統工芸染織展審査員 |
2004年 | 祇園祭・蟷螂山の後掛「瑞兆遊泳之図」の制作、献納に協力する |
2006年 | 京都府指定無形文化財「友禅」保持者に認定 社団法人日本工芸会理事に就任(2010年まで) |
2008年 | 京都工芸美術作家協会 副理事長に就任 |
2011年 | 京都府文化賞功労賞受賞 |
2013年 | 旭日双光章受章 京都工芸美術作家協会 理事長に就任 |