京都の庭園や自然を愛し、花鳥風月に材を求める。特に鴛鴦(おしどり)の文様は、独特のデザインに人気が高い。野の草花を、豪華な文様にデザインすることも、特徴的である。
京友禅の世界に、加賀友禅を融合させた独自の境地を開く。京都府民を代表してダイアナ妃に送られた振袖、祇園祭蟷螂山の懸装品、内外での展覧会で活躍。
2007年10月10日、高齢のため制作活動を終了。
2008年2月10日、午後10時22分肺炎に起因する敗血症にて死去。享年97歳。
京友禅の世界に、加賀友禅を融合させた独自の境地を開く。京都府民を代表してダイアナ妃に送られた振袖、祇園祭蟷螂山の懸装品、内外での展覧会で活躍。
2007年10月10日、高齢のため制作活動を終了。
2008年2月10日、午後10時22分肺炎に起因する敗血症にて死去。享年97歳。
1911年 | 月14日、石川県金沢市に造園師の三男として生まれる |
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1925年 | 金沢市にて南野耕月師に入門、加賀友禅を学ぶ |
1931年 | 京都市にて曲子光峰師に入門、京友禅を学ぶ |
1937年 | 修行を終え、10月10日に独立、妻芳子と共に上京区に工房を構える |
1943年 | 政府認定京都友禅技術保存資格者となる |
1955年 | 第二回日本伝統工芸展に友禅訪問着「孔雀」初入選 以降毎回入選 日ソ工芸美術展に友禅訪問着「孔雀」出品、ソ連政府買い上げ |
1957年 | 社団法人日本工芸会正会員 |
1962年 | 社団法人日本工芸会理事に就任 |
1971年 | 日本伝統工芸展審査員 |
1976年 | 藍綬褒章受賞 第23回日本伝統工芸展で上代紬友禅きもの「白夜」が最高賞(東京都教育委員会賞)を受賞 |
1978年 | 京都府美術工芸功労者受彰 |
1979年 | 紺綬褒章受章 |
1982年 | 勲四等瑞宝章受章 祇園際蟷螂(とうろう)山の前掛「瑞祥鶴浴之図」を製作、献納 |
1984年 | 祇園際蟷螂山の胴掛「瑞光孔雀之図」「瑞苑浮遊之図」を製作、献納 |
1986年 | 初来日の英国ダイアナ妃へ京都府、京都市が二条城で献上するために手描友禅本振袖「瑞祥鶴浴文様(ずいしょうかくよくもんよう)」を製作 |
1988年 | 重要無形文化財「友禅」保持者(人間国宝)に認定 社団法人日本工芸会参与 |
1990年 | 京都府文化功労賞特別賞受賞 京都市文化功労賞受彰 |
1991年 | 祇園祭蟷螂山見送り「瑞苑飛翔之図」を製作、献納 |
1992年 | 石川県立美術館において同館主催の「友禅人間国宝 羽田登喜男展」 |
1993年 | 京都市美術館において同館主催の「友禅人間国宝 羽田登喜男展」 |
1996年 | フランス・リヨン市のリヨン染織美術館において同館主催の登喜男、長男登、孫登喜の三代による特別展「羽田家のキモノ展」 →リヨン染織美術館 |
1999年 | 祇園祭蟷螂山水引「吉祥橘蟷螂図」を製作、献納 |
2004年 | 祇園祭蟷螂山後掛「瑞兆遊泳之図」を製作、献納 これにより、蟷螂山の全ての懸装品(けんそうひん)の手描友禅での製作が完成 |
2007年 | 10月10日、高齢のため、制作活動を終了する |
2008年 | 2月10日、午後10時22分 肺炎に起因する敗血症にて死去 享年97歳 従五位に叙せられる 3月13日、真如堂本堂にて葬儀、告別式が行われる |
- 第23回日本伝統工芸展 最高賞(東京都教育委員会賞)
- 藍綬褒章
- 京都府美術工芸功労賞(現 京都府文化賞功労賞)
- 紺綬褒章
- 勲四等瑞宝章
- 重要無形文化財「友禅」保持者(人間国宝)
- 京都府文化賞特別功労賞
- 京都市文化功労者
- 羽田登喜男作品集」(八宝堂 1966年)
- 「春秋雅趣(しゅんじゅうがしゅ)」(フジアート出版 1981年)
- 「春秋雅趣 二」(フジアート 1989年)
- 「人間国宝羽田登喜男染色展」図録(思文閣美術館 1990年)
- 「友禅 人間国宝 羽田登喜男展」図録(石川県立美術館 1992年)
- 「遊於芸(げいにあそぶ)」(フジアート出版 1992年)
- 「友禅 人間国宝 羽田登喜男展」図録(京都市美術館 1993年)
- 「Kimono de la Famille HATA」図録(リヨン染織美術館・仏 1996年)
「才能には限りがあるが、努力には限りがない」
「きものがファッションであることを忘れてはならない」